Story of Red

世界初の赤、
希赤をめぐる物語。

数千年の歴史を誇る釉薬の領域において、実現不可能とされてきた色がある。
26年の歳月を経て、中村元風がついにたどりついた鮮烈の赤、希赤の誕生秘話をひもとく。


釉薬とは、セラミック表面に融着したガラス質の層のことである。その起源には諸説があり、紀元前5400年頃のエジプトともいわれる。この分野に科学的なメスが入れられたのは比較的新しく、釉薬は長く神秘の世界に属するものであった。基本となる色は5色。赤、黄、緑、紺青、紫だが、このうち歴史的に赤だけは例外の扱いがされてきた。他4色がガラス質で鮮やかな色合いなのに対し、赤は透明感や光沢がなく、発色も赤茶や朱色に限られている。長い歴史の中では、固定観念が醸成されるのが常である。歴史上、赤をガラス化しようと試みた者も多い。しかし、成功に繋がることはなかった。それゆえ、いつしか濃い朱色が限界と認識され、常識として定着した。もし中村元風が陶芸家の出自ならば、この状況を疑問なく受け入れていただろう。しかし、そこは科学者の出身。「なぜ赤にだけ輝きがないのか。創り出すことは本当に不可能なのか。」純粋に科学者としての血が騒いだ。

それまで経験と勘でなされてきた釉薬研究を、作家は一から見直すことに着手する。1986年のことである。原材料の成分や調合を科学的に分析、数え切れないほどの実験を繰り返し、連日テストピースを焼成し続けた。そうして研究開始から実に26年の歳月が経過した2011年、世界で初めて光沢と厚みのある深紅の釉薬「希赤」の焼成に成功した。この日は奇しくも3月11日、つまり東日本大震災の当日であった。

  1. 手前が平面的でくすんだ色調の従来の赤。奥が希赤。光沢と色の違いが見てとれる。
  2. 完成当日のテストピース。右下に2011.3.10と確認できるが、これは焼成炉に入れた日付。翌朝、希赤は完成をみた。ところが、直後に東日本大震災が発生。この事態を受け、日本に希望をもたらす赤となることを願い「希赤」と命名された。
  3. 希赤の発明により、三原色で唯一欠けていた最後のピースである赤が揃った。このことは混色により理論上、無限に色を作り出せることを意味する。2014年にノーベル賞を受賞した青色LEDのエピソードを想起させることから、芸術界の青色LEDと呼ばれることもある。
  4. 純度99.9%のプラチナを用いて緻密な線描がなされる。この後、希赤の塗布と焼成を三度繰り返すことで、鮮烈な色彩を伴う分厚い層が形成される。